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B-32 (航空機) : ウィキペディア日本語版
B-32 (航空機)[びー32]

B-32は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍が運用した爆撃機コンベア社が開発した。愛称はドミネーター(Dominator)といい、支配者の意である。B-29と同じく、超長距離爆撃機計画によって開発が開始されたが、開発の遅延とB-29の開発成功により、大量生産はなされず115機の生産に終わった。
== 概要 ==
1939年11月に、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の開始を受けて、アメリカ陸軍は超長距離爆撃機計画(Very long range)を開始した。これは、2万ポンドの爆弾を搭載し、8,500km以上の航続距離を持つ爆撃機の開発計画であった。1940年1月に航空メーカー各社に仕様が示され、コンベア社はこれに応募した。コンベア社モデル33案はB-32として採用された。この時に、ボーイング社のB-29、ロッキード社のB-30、ダグラス社のB-31の各案も採用されている。審査結果で第1位だったB-29を本命として、第2位のB-30がバックアップ機となるはずだったが、ロッキード社が開発を辞退し、第3位のB-31は搭載するエンジンをR-4360に変更したため開発に時間がかかるとして、第4位のB-32がバックアップ計画として1940年9月6日に試作機2機が発注された〔第二次大戦米陸軍機全集 航空ファンイラストレイテッドNo.74 文林堂 1994年 P86-87〕〔世界の傑作機 No.52 ボーイングB-29 文林堂 1998年 ISBN 978-4893190499〕。当初計画より6ヶ月遅れたものの、初飛行は1942年9月7日に行なわれた〔。これはB-29の1942年9月21日より2週間早い。
B-32は、4発のレシプロエンジンを持つ大型爆撃機であり、主翼は直線翼・高翼配置である。エンジンはB-29と同じライト R-3350-23である。胴体断面は与圧装置の検討もあり、円形をしている。防御機銃として12.7mm連装機関銃が機首、尾部、機体下面1ヶ所、機体上面2ヶ所の5ヶ所に装備された。試作機XB-32は垂直尾翼はB-24と似た形状の双垂直尾翼が当初は装備されていたが、試験の後に単垂直尾翼に変更された。
初飛行以後は試作初号機の墜落や与圧装置の不良、垂直尾翼の改修などが重なり、開発は遅延した。1943年3月17日には量産型B-32と無武装練習機型TB-32合わせて300機の発注がなされ、1944年には追加で1,500機の発注がなされた。与圧装置が不良のため、与圧装置なしで量産を行うこととなり、1944年9月に量産初号機が完成したが、すでにB-29が実戦配備されていたこと、与圧装置がないことにより高高度爆撃ができず、ほとんどの生産はキャンセルされることとなった。結局、生産されたのは試作機XB-32が3機、B-32が75機、TB-32が40機である。
機体は、1945年5月よりルソン島に送られ、そこにて装備部隊の編成・練成が行なわれた。ルソン島や沖縄を基地に、フィリピン台湾への偵察や爆撃を行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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